2010-10-29 第176回国会 衆議院 法務委員会 第3号
さらに、一体検察が、国政調査権に応じて証拠物件であるビデオを国会に提出するに当たり、検察独自の判断で編集することができる法的な根拠はどこにありますか。 さらにもう一点、今回提出をされた六分五十秒のビデオと、逮捕前に長官や国交大臣が見られたビデオとは同じものなのか違うものなのか、お伺いをいたします。
さらに、一体検察が、国政調査権に応じて証拠物件であるビデオを国会に提出するに当たり、検察独自の判断で編集することができる法的な根拠はどこにありますか。 さらにもう一点、今回提出をされた六分五十秒のビデオと、逮捕前に長官や国交大臣が見られたビデオとは同じものなのか違うものなのか、お伺いをいたします。
しかも今度、住専と同じように国民の税金を三十兆から何らかの形で、最終的に使い切る、使い切らないは別にして、できるだけロスを少なくという議論をされておりますし、与野党を通じてこのロスを減らす努力をするつもりでありますけれども、しかし、こういう問題について、一体検察当局は本当に責任追及する意思があるんだろうかどうかということについて危ぶむような発言に今のは私は思えます。
一体、検察はどこが狂って何を目指そうとしているのか私には理解ができない。 法務大臣、あなたはこの間の検察のあり方に関して、まさにトップにある者としてこの事実をどのように受けとめて、今後どうしようと思いますか。
一体検察は中曽根さんの三台目だというふうにお思いになっているのでございますか。さっき言ったように、偽証の疑いについては検察の方は云々だ、こうおっしゃったわけでございますが、私はやはりスパコンについても偽証あり、疑いあり、こういうふうに言っているわけでございます。いかがですか、偽証の観点から見てみまして。
あれについては東京地検の特捜部が何か乗り出されてやっておられるようなことを聞きますが、事件によって検察が出たり出なかったり、汚職事件だとか何かそういう相当大きな社会的にいろんな意味を持った事件については検察が乗り出されるというようなことになっておるんだろうかとも思いますけれども、しかし、それにしてはグリコ事件だとか今度の朝日の襲撃事件だとか、ああいう問題について一体検察はどの程度の関係をしておられるのだろうかというようなことを
一体、検察陣の行為の行き過ぎをしかるところはどこか。県議会では何の力もない。国会のこの法務委員会で検察陣をしかる以外にしかる手だてはない。それほど遠くなっております。民主警察だとか民主検察だとかと言うけれども、少しも民主じゃない、権力べったりではないか、こういうことを私はつくづく感ずるわけであります。
で、伊藤証言にも関連をいたしますが、一体検察陣としては、この五億円の支払い問題というものはどちらの立場に立って立証なさっていらっしゃるわけですか。
足かけ四カ月にもなるのでありますから、一体検察あるいは警察当局は何をやっているのだ、これは偽らざる国民の実感だろうと私は思っているわけでありまして、だから社説にこんな表現が出てくるのでありましょう。総理にひとつその辺の、何でこれ何やっているのかさっぱりわからぬというようなことになっているのだと、この点についてひとつ総理のお考えをまず承りたい。いかがでございますか。
これはもう事実だと思うのですが、この手数料について非常に高いというふうに一体検察当局は見ているのか。この中にどういうふうな金銭が含まれておるか、こういうことについて深い関心を持っておるかどうか、この辺をお尋ねしたいと思うのです。
したがいまして、私個人の気持ちを申し上げさせていただきますれば、私は、たとえば第一線で検事をいたしておりまして、私の全責任で処理をした事件について、きわめて相手方に御迷惑をおかけしたという場合には、潔く謝るつもりでおりますが、一体検察組織あるいは司法制度全体の観点から、どう見たらいいか、こう申しますと、一件無罪が出るごとに、たとえば法務大臣が謝罪をされるというようなことまでしなければならないような制度
○鳥居委員 それに対して一体検察当局はどういう手を打っているのですか。これは疑惑のままになっている児玉、小佐野ルート、資金ルートなどこの事件の公表、これに対して今度の引き延ばしというのはいわゆる参議院選後になってしまうという心配が出てきているわけで、しかもSECに対する資料そのものの価値というのは大変大きなものだと私たち思うわけですね。どういうアクションを起こしているのですか。
しかし、そう言うと、それじゃ一体検察が裁判所に出て、いわゆる原告としてやっておるのはどういうことになるかということになれば、検察というのは犯罪を捜査して、そしてこれを起訴する、あるいは無罪とするというような判断をする重要な責務を持っておりますから、起訴をした場合においては、起訴をした事実について公判を維持するという重大な関連を検察が持っておるということは事実であります。
なぜ一体検察当局が国会の告発を待たずして一度ならず二度逮捕を先にされたかという事情には、表の理由は先ほど言われるように緊急性がありまするが、しかしもっと掘り下げていったら、国会とかあるいは政党に対する一つの不信があるのではないか。
そういう検事正をかしらにいただいて、一体検察が、法務大臣が言うたような庶民を苦しめている経済事犯について、厳正な態度をとることができるなどと私にはとうてい思われない。この検事正は去年返還を申し出ております、十月に事件になってから。そこで「府の役に立った気持ちもあり、多少は府内部で処分できる宅地があるのだろうと思っていたが、裏口分譲とは知らなかった。いま思えば軽率だった」こういっている。
これで一体検察審査会のほうはやれますか。やれますかと言ったら、やれますという返事になるのでしょうが、これだけ減ったことによって、私はそういう点で、やはり人数が減れば、仕事もどうしたってむずかしいし、むしろそう事件をふやそうという気もなくなるだろうし、そういう点で、総体として私はこの検察審査会の制度そのものが後退をする、運用の面で後退するように思うのですが、その点いかがですか。
これで一体検察に対するほんとうの国民の信頼がつなげるだろうか。最も大きな問題はむしろここにある。 きのうも、私たちが委員として保安課長に質問いたしました場合に、非常に言いにくそうな答弁をされた。結局上級幹部をかばいたい、あるいはかばうことは当然だ、人情かもしれませんけれども、しかし、この場合は、それは許されないのではないか。
一体、検察当局者がこんなことでよいのでありますか。法務大臣はどうお考えになりますか。これらの事実を承知しておられますか。前に私が検事総長に御注意申し上げたときは、何らかの処置をされましたか。こんな事実が二度もタイミングを合わせたように事件中に新聞に報道されていますが、検察の綱紀から見て、この事実をどう受けとめられますか。
何ということか、一体検察当局というものは、こういうような検察の先輩の圧力によって大きな威圧を受け、そうして威圧することを承認しておられたのかどうか、私はもう一回伺うのであります。
捜査当局は自信を持っておられたにもかかわらず、一体検察当局は、この問題について何で不起訴にせられたのか。これは捜査当局と明らかに意見と判断が違っていたからであると私は思うのであります。そうであるならば、先ほどからの私の一項目ずつに御否定はございませんでしたけれども、捜査当局でなく、検察当局は別の見解をお持ちであったろうと思うのであります。一体どこが理由であって不起訴にせられたのか。
それに一体検察権が入れるものかどうかということを、十年ほど前のことですけれども、真剣に議論したことがございます。
気違いに刃物を持たせない、そんな人間が検察庁へ送られてきたならば、確実、にそれを把握するための予算を、一体検察庁ではどの程度計上されているんでしょうか。先ほど大臣がお見えになる前に申し上げましたけれども、診断書制度によって国民は三十八億円というお金をむだ使いさせられたわけです。そうして一年足らずでこれが廃止になった。